第四章 ジェイムズ経験論の意義
第一節 知覚の哲学としての経験論とジェイムズ経験論
ウィリアム・ジェイムズが思想界において過去の人間になっているとみなされてから久しい。十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて大活躍したこの思想家は、一方ではブントと並び称せられる近代心理学の巨峰としてそびえたち、他方ではアメリカにおける初めての哲学といわれるプラグマティズムの重鎮として君臨した過去を、彼が信じた「みえざる」(1)世界からどのような感慨でもってながめているだろうか。
ジェイムズの思想が過去のものとして評価されねばならなかったのは、まさに彼のいうところの思想の「現金価値cash-value」が下がったためなのであって、そのために現代という時代的社会的背景に報復されたからに他ならないだろう。だがこの事実についてわれわれは感傷的になってはいけないだろう。思想がわれわれ人間の精神の呻吟せる知的産物であるといわれる限りは、その社会的評価がいかなるものであれ、そして、たとえ一人の人間によってしか認められぬ価値しかないとみなされるものであれ、一つの輝きをもちうるからである。
それは過去の思想といわれるそれに対しても適用されるだろう。否われわれは過去の思想に対しては常に冷静でありうるが故に、それのもっている輝きをより一層うきぼりにしえるのである。 本書はそういった考えをもつ詮索家によってなされたジェイムズ思想の忠実なる展開であった。論者はもとよりジェイムズ思想を不死鳥の如くよみがえらせる意図をいささかももつものではなく、ただジェイムズ思想を忠実に解釈することによって、それを現代人である論者の知的関心と対照させようとするものである。
論者の私見であるがジェイムズに関して、論者の興味をそそったのはジェイムズのユートピアとそのユートピア思想が現実的にはたした成果との齟齬である。ジェイムズはある論文の中で次のようにいっている。「私は心の底から平和の治世とある種の社会主義的平均の漸次的到来を信じている。」(2)にもかかわらずジェイムズ思想はイタリアのムッソリーニの如き独裁者によっても愛好されるという歴史の皮肉を生んでいる。B・ブレナンによればムッソリーニはジェイムズを「自分の哲学的師匠の一人」(一)として支持しジェイムズから自己の政治的生涯における信念をうえつけられていたという。論者は歴史家ではないからファッショ国家のこの指導者の行為の歴史的意義についての客観的な評価を下しえぬが、結果としてはジェイムズ思想が彼の意図と逆のものをもたらしたということぐらいは推察しえる。
そこで問題になるのはこういった齟齬がジェイムズ思想のなかに構造的に潜んでいたのか、なる疑問である。そして本書の最後の章ではかかる論者の主観を背景にして、ジェイムズ経験論について別の観点からの論述がなされるであろう。
そこでまずわれわれが考察せねばならないのは経験論の系譜の中に数えられるものとしてのジェイムズ経験論をいかにとらえなおすかである。論者にはジェイムズ経験論の批判はいわば経験論の本質そのものに対する批判であるようにみえる。なぜならばジェイムズは経験論のもつ二つの相反する傾向、即ち経験論の学問としての破綻を合理論的方法の挿入によって救うという傾向と、経験論の思考的行きづまりによりもたらされる思考停止が自然における人間生活の調和に救われるという楽観主義に基づいて平然と学問の考察的態度を放棄できるという傾向、に対して、自ら経験論者としてふみとどまる姿勢を維持しつつ、なんらかの形でとりくみ、且つそれらを修正しようとしているからである。
このことはジェイムズ経験論が従来の経験論のあいまいな点を経験論の批判されるべき点としてかえってうきぼりにしたという役割をはたしている。まずジェイムズは経験論に主知主義的傾向のあることをみぬいた。それは経験論が合理論と対立するようなポーズを示しながら、実は隠れた合理論として機能するのではないのかという問題をなげかけている。いいかえれば、そこには経験論が学問として成立するかどうかという経験論の存在根拠そのものが問われているのである。
次にジェイムズは経験論の学問としての破綻を単なる論理における撞着としてとりあつかい、生命を第一義的存在と考えるところから、主意主義的な見地にたつことにより、人間の積極的活動の意義を強化し、意志の哲学を確立しようとした。しかしそのことは、かえって、人間についてのわれわれの考えをきわめて限定されたもの、即ち生物としての人間のあり方をあきらかにしただけの結果をしかもたらさなかった。ここにジェイムズのこのような主知主義批判及び主意主義の強調が経験論そのものの批判に十分に生かされているかどうかの解明が必要になってくるのである。
だがその前にわれわれは経験論の輪郭をあきらかにする必要があるだろう。とはいえ、ここでわれわれが経験論という場合、それはロック以後によって確立された学としてみられる経験論を意味しているということを了解しておかねばならない。
さてそのロックにおける経験論は次の有名なテーゼによって特徴づけられている。「われわれは精神がいわばあらゆる性格を欠き、いかなる観念をももたぬ白紙であると想定しよう。精神はいかにしてそれらを与えられるようになるのか。精神は人間のせかせかして限りない空想がほとんど無限の変化でもって自らに描いたところのその莫大な貯えをどこからえるのであるか。精神は理性と知識のあらゆる材料をどこからえるのか。これに対して私は、一言で経験からと答える。経験においてわれわれの知識のすべてが基礎づけられ、結局、経験から知識は自らを導出するのである。」(二)そしてこのテーゼによってロックは経験論の開祖であるとも経験論の父であるともいわれるのである。
従来の一般的な経験論解釈によれば、ロックのこのテーゼから出発し、経験からえられる観念の様々な構成、その観念とそれに対応するところの存在との関係、その観念に賦与される性質等々が学的に考察されるものとして経験論の体系がなされる。そしてその中にあってロックの意味する経験のあいまいさ(それは合理論的な特徴を多分にもっているという意味においていわれる)が経験論に不適であるという理由で捨象され、バークレー、ヒューム等の後継者によって、より徹底した経験論的立場、即ち経験は感覚にのみ由来するという立場が重視されるようになり、いわゆるロックによって提唱されたところの観念の起源が感覚と反省であるというあいまいな経験規定が整理されていったのである。
このことは他方、ロックにおいては、まだ問題視されなかった、観念に対応するところの存在の考えが次第にその存在性entityを強調する立場を失っていくことを意味し、表象説representationalismから、現象説phenomenalismへの移行がなされていることを伝えている。事実、その移行はわれわれが経験の立場に徹するときに必然的な思考の過程であると考えられていたし、経験論の系譜からみれば唯我論でもって終わるはば広さをもっていたのである。(最も経験論としての唯我論が思想史的に勢力をもたなかったのは、それがあまりにも独断的であり、それ故に理論としては歓迎されても、事実との齟齬による牽引を経験論自身が与えているからである。)
全体的にみて、ロックからヒュームに至る経験論は存在と観念の概念的な区別ないしは質的な差異性についてのこだわりをもっていない。従って表象説から現象説への移行もごくわずかな違いでしかなく、今日においても経験論の主流はこの二つの間のいずれかに位置するという認識論的立場をとっている。即ち存在と観念の問題はすべて知覚の問題に還元されることによって、認識論的追求の保留が一時的になされるか、ないしは、これらの絶対的差異が解決されていると思いこまれてしまっている。その意味ではわれわれは認識論の問題に限れば、経験論はロック、バークレー、ヒュームの認識論から一歩も外にでていないといってもよいだろう。
とはいえこれら哲学者はわれわれの認識に必要な観念の起源をあきらかにする必要を説くという重要な問題提起をなしながら、彼ら自身の関心の中心が人間性における倫理性の問題(厳密には、他人といかに調和するのか、の問題)にあったがために、認識論を中途半端にしたという哲学における罪を犯している。
このことは哲学史において影響力をもっている二つの考え方の遠因となっているとも考えられるであろう。即ち、その一つは彼らが認識論的態度を徹底化しなかったために彼らの後の哲学者達をして、その経験論的認識論をよりあきらかにさせると考えられるところの合理論的方法による解決への道が用意されたことである。いいかえればそれはカントがヒュームによって独断の夢をさまされたという象徴的な表現でもってあらわされるが、この表現は裏をかえせば、合理論的認識論が経験論的認識論の申し子であり逆にいうならば、もともと彼ら経験論者の認識論は合理論的なそれの導入でもって完成されるものであるということを伝えているのである。それ故に、ロック、バークレー、ヒュームが外界の存在をいかに認識するかという問題にたちいった瞬間、彼らは合理論的解決の方法への第一歩を踏みだすべき役割を結果的に果たしていたのである。ただ彼らの仕事が認識における批判的仕事であったがために、彼らはそれまで疑われなかったところの実体の考えが実は一つの観念の形をとった一つの言葉にすぎない、という風にいいなおしただけなのである。
勿論この考え方は一つの仮説でしかない。なぜならば合理論の系譜それ自体もデカルト等によって学的に構築されているからであり、別の見地からみれば、これら経験論の先駆者の考えを混入させる余地などないと考えられるからである。
しかしジェイムズは、両者とも主知主義的特徴をもっているという意味で同じものと考えていた。そこで二つめの遠因の考察は経験論の系譜をたどるわれわれにとってより重要なものとなろう。ロック、バークレー、ヒューム以後の経験論者は主として彼の先輩達の規定に絶対的に依拠しつつ、自然における人間の現実的生活を解明しようとしたのである。
さらに後継者達は先輩達が観念による認識論を一つの壁にぶつからせ、それにとまどったことが経験論者として正しい処置であるかの如くに考え、先輩達と同様にそれを保留にしたままに、感覚的な人間の生きるための哲学的原理を求めようとしたのである。それ故後継者達の経験論の主要なテーマは認識論であるというよりは、道徳論であったのである。
とはいえ、このことは何も先輩達の後の経験論が認識論を無視していたということではない。前にも述べたように経験論に基づく道徳論が様々な形で発展していったのに対し、その前提となるべき認識論が先輩達の考えよりも少しも進歩していないこと、即ち、かのロックのテーゼによって代表される主張が依然として絶対的に否定されえない思考の事実として前提されているということである。われわれがこの例を見つけるのは、さほど困難なことではない。すでに先輩達と同時代の人たち、例えばシャフツベリー、ハチソンは感情倫理説を説き、A・スミスはヒューム以上に、共感のメカニズムを分析し、経済的人間の姿をうきぼりにしている。
この傾向は特殊イギリスにのみみられるのではない。コンディヤックは感覚論という形で認識論の一つの方向をうちだした代表的な人間であるが、意志と欲求の考えを感覚の所産として認めているし、エルヴェシウスはこの感覚論を完全に道徳の方面に適用し、官能的快楽の追求を一つの原理にまでたかめている。先輩達の後の時代においてはミル親子やベンタム等が功利主義とよばれる一つの考え方を確定したし、我がウィリアム・ジェイムズによって普及されたところのプラグマティズムも独特の価値観をともなって、人間の道徳的生活の一つの局面をするどくえぐりだしているといわれるのである。
これらの経験論の系譜における道徳論的展開は、勿論、ロック、バークレー、ヒュームの道徳論的主張に起因するものではある。それ故、後継者達の様々な見解はそれぞれの時代背景をともなっているという特殊性をとりのぞけば、先輩達の関心を時代をへだてて満たしてやっているという風にうけとれるだろうが、しかし、われわれとしては、経験論が道徳的見解を軸にして展開されてきているということに対して注目せねばならないであろう。
これは何を意味するのであるか。それは経験論がもともと常識の学であり、人々の生活における様々な試練から蒸溜されたものを尊ぶという気質にささえられて、よりよき人間関係を維持することを目的にしているからである。この考え方が学として成立するのは学としての自然科学が採り入れる観察と方法がわれわれの精神生活にも適用しうるという信念に基づいているからである。しかしながら、経験論がなんらかの形でわれわれの行動原理をうちだしているからといって、それを道徳論という名でもって総称してしまうのは危険であるだろう。なぜならば、経験論の考え方は、自分たちの行動原理が、丁度リンゴが木から落ちるという事実が引力の法則でもって根拠づけられると同じように、その法則に似たところの自然の調和の力がそのままの形でわれわれの精神に働いた姿を正直にあらわしている、と思いこんでいるからである。
さてその問題の追求の前にわれわれはロックのテーゼの問題点を別の観点にたって考察する必要がある。ロックは精神の白紙説を主張し、経験のみが精神の中へ観念を貯えることができるといった時、すでに一つの仮説をこしらえていた。彼は『悟性論』第二巻の部分で、次のような信念を吐露している。「あらゆる人は自分が考えているということを自らに意識しているので、そして考えている間は、彼の精神がむけられているのはそこにある諸観念であるが故に、人間が自分たちの精神の中に、いくつかの観念をもっているということは疑うに及ばぬことである。」(三)
ロックはそこからわれわれがいかにしてこれらの観念をえるかの追求をなすべきであると結論づける。しかし、ここでよく考えてみると、人間の精神には観念が働いているというのはロックには自明のこととされている。だが、その思考のパターンの根拠は、自然の存在、例えば、石に引力があるのは自然の摂理にかなっているといわれる場合と同じである。ロックは、自然のすばらしい調和的展開が引力によって見事に説明されるという現象面に驚異と賛同の意でもってひざまずき、人間の精神的メカニズムにも、引力に相当するところのものがきっとあるにちがいないと考え、それを観念内に求めたのである。
とはいえロックのこの無邪気な想定は観念がわれわれの精神に疑いもなく存在しているという事実の指摘にとどまっている限りにおいて責められるべき何物ももっていないだろう。なぜならばわれわれが外界の事物を認識するのはまさに観念を通してであるということは誰も否定しえないからである。そして、もしこの観念という言葉があらゆる意味において、われわれの知覚全般としてとらえられているならば、今のところ問題はない。しかしながら、ロックの意味する観念がいわゆる「単純観念」及び、それの複合によって構成される諸観念であるといわれる段階において、この無邪気な想定は、一つの独断性をもつといわれる危険性を有していないだろうか。
事実、ロックの場合は、彼が規定するところの「単純観念」でもって説明される以外のなにものでもないのである。このことは何を意味しているのであろうか。まず、この考え方は自然における事物の存在を分子とか原子にとらえなおすことによって解明しようとする自然科学の方法を無批判にとりいれている。この方法は、ジェイムズの言葉に従えば、主知主義的なとらえ方である。それ故に精神のアプリオリズムが働いている。しかるに、ロックはそれをどう考えていたのか。ロックによれば単純観念は知識の素材であるが、それは精神に与えられるものとしてある。即ち、精神はこの観念をつくりだすことも、又なくすることもできないとされている。
ロックはそれをたくみな言葉使いで次の様に説明している。「悟性は一度これらの単純観念で貯えられると、ほとんど無限の多様な姿にまで、それらをくり返し、比較し、結合する力をもち、そのために好きなだけ新しい複合観念をつくりだすことができる。しかし、精神の中に一つの新しい単純観念をつくりだし、形成することは、思考のいかにすばやい、あるいは多様な働きによっても、最も高い才知や広い悟性の力でさえもできないし、又悟性のいかなる力もそこにある観念をこわすことはできないのである。なぜならば、人間自身の悟性のこの小さな世界における人間の支配は可視的事物の大きな世界における支配の場合とほとんど同じであるからである。その大きな世界においては人間の力は、いかに技術と熟練によって管理されようとも、彼の手につくられる材料を複合したり分離したりする以上に達しなく、新しい特質の最小の分子を作ったり、すでに存在している一つの原子を作ったり、すでに存在している一つの原子をこわしたりするということにむかっては何もなしえないからである。」(四)
このロックの言葉は彼の考えの盲点を思わずあらわしている。これは単純観念がどのようにしてあるかを考えてみればあきらかである。ロックは単純観念が精神に与えられているという機能を強調することによって、精神そのものの機能に迎合するような単純観念をつくりあげているのである。いいかえれば精神が十全的に働きうる条件をそなえた上で、単純観念が与えられているのであり、極言すれば単純観念は精神の産物であり、しかも感覚所与から生まれいでて、後に完全にそれからきりはなされたところの、純粋の精神の産物である。それ故に、ロックの意味する悟性はロック自身のわがままな規定をうけて、精神のなかにありながら、自分の子供さえ認知できぬあわれな偶像として利用されている。ロックのような考え方をすると、いずれは(実際、後にカントがやったように)このあわれな偶像に権威を与える知的要求が精神の内部から生じざるをえないのである。
このロックの単純観念の考えを受けついでいるのはヒュームの印象説である。実はわれわれはロックにおいてよりもヒュームにおいて、徹底的に批判しなければならないだろう。なぜならばヒュームの印象説はロックの単純観念説より以上にも知覚表象がよりはっきりしていなければ成立しない考え方であり、従って、そこでは精神がその印象に一定の質・量の、明確さを要求しているとみなされるからであり、しかも、このヒュームの印象説が今日に至るあらゆる経験論者の観念に関する意見の原型になっているからである。
さて以上でもってわれわれは経験論の中にみられる認識論的特徴、及び思想史にあらわれた認識論的主張の力点の紹介的な素描を終え、次に、これまでの論述において暗に問題提起されてきたところの経験論そのものの客観的評価を断定的に行い、あわせてジェイムズ経験論を冷淡にながめる作業にとりかからねばならない。
経験論が、ジェイムズのいうように、知覚の哲学であるというのは、知覚がわれわれの思考の対象としていろいろ考察されるからである。われわれが知覚という場合、それは、まさに現存するありのままの事実を意味しており、そして現存する事実の中にわれわれが存在しているという事実をも意味しているのであるから、「知覚する」とは「経験する」を意味する以外のなにものでもない。
それ故、経験の内面的二重性は知覚に関する二つの規定に基づいているのであるから、ありのままの事実をみるという観点からは当然否定されなければならない。この根拠は単に知覚が思考の素材としてしかみられていないところにあり、従って、知覚がありのままの事実に賦与されている実在からたちきられているところにある。即ち、知覚は実在ではなくわれわれの思惟の単なる所産でしかないとみなされるからだ。
それでは、知覚を学的に考察し、もって経験論を確立するためには知覚をただ思考の素材としてとりあつかうという便宜性が不可避的であるのだろうか。その言明はある意味では正しい。だが、それでもって経験論の全体系が構築されることにはならないであろう。注意されるべきなのは経験論をヒュームの如き原子論的な考えのパターンに局限してしまうことなのである。ヒューム的な考えの哲学体系は経験論のそれのごく一部でしかなく、そのことによって人間の認識能力あるいは人間の能力一般が制限せられる運命にある。いいかえれば、それは人間の認識に限界があるということをあきらかにすることによって、人間の思考を一つのせまいパターンにおしこめる危険性をもっている。
このパターンとは実在からはなれた思惟の主観的産物、(それは、象徴、観念、記号、道具等様々な名でもってよばれる。)でもって人間の生存を意義あらしめようとする強制にほかならない。そして、この考え方が合理論的洗練さをともなった時、単なるわれわれの認識の限界内における思考の産物がすばらしい無限と絶対の幻影をわれわれに与えるようになるのである。
わがウィリアム・ジェイムズは同じ知覚の哲学の立場にありながら、この経験論を批判したのは正しかった。ジェイムズは経験論の主知主義的特徴を排することによって経験論がヒュームの原子論的認識論にのみ決して基づかないことを、従って、人間の能力が制約せられた一定の条件のもとに局限せられないことを証明しようとした。ジェイムズの反主知主義的な立場は当初は経験論的認識論が実在の象徴的なとらえ方しか採用せず、従って人間の一部しか解明しえないという考えのアンチテーゼとして存在していた。なぜならばジェイムズにおいては、人間は無限の可能性をもっているものであったから、かかる経験論的認識論において、人間が制約せられてはいけなかったからである。いいかえれば、彼が再三再四いうように、原子論的な認識論に基づく知覚群の寄木細工的様相の世界観は決して人間の無限の可能性をうけいれないのである。
そのことは結果的には知覚のとりあつかい方の根本的な変革を意味していたので、合理論的方法の注入によって経験論の破綻(たとえば、全体あるいは絶対の考えを導入しなければ経験的事象の解決が不可能になるというような)を救うことになったが、それは単なる思考の上での解決にしかならなかった。
このことは何を意味するものであるか。ジェイムズがある種の素朴な実在論をもっていたということは正しい。ジェイムズは、経験論者が金科玉条的によくいうように、事実をありのままにみるという態度に徹していた。しかし、ジェイムズは一つの混同をしていた。ジェイムズは「あるがままの事実」を「みえるがままの事実」としてうけとっていたのである。ジェイムズのこの混同は経験論の、即ち知覚の哲学ののがれられない致命傷であり、それ故に実在に関する、あるいはもっと一般的にいえば客観的な存在の認識に関する不可知論的結論を導出せざるをえなくなるのである。
なるほどわれわれは知覚という考えの導入によってわれわれの主観とその対象である外的存在との関係を位置づけることはできた。しかしながら、ジェイムズは彼なりの知覚の哲学、即ち純粋経験論において、その内容が全く感覚そのものである知覚の中に実在を包摂させ、そして、いわゆる身心一元論の世界の中の現象を絶対視することによって、知覚そのものをそっくりそのまま「みえるがままの事実」の側にひきよせてしまったのである。われわれはこの具体例を意識の流れ、考えの流れの唯一的実在性を強調するジェイムズの主張の中にみてきている。
かかるジェイムズの考えからは「あるがままの事実」とは即「みえるがままの事実」であり、後者は前者にわれわれの関心がプラスされたもののように推論されざるをえない。にもかかわらず、われわれの関心が認められなくなった際には、せっかくジェイムズのいうところの「あるがままの事実」は消滅し、のみならず、それはわれわれには不可知の存在であるかのようにして片づけられてしまっているのである。
これは完全なるジェイムズ経験論の御都合主義的な主観論のあらわれであるといわれざるをえない。かかる態度は「あるがままの事実」が不可知の対象であるという告白でしかなく、ジェイムズはそれを「事物の神秘を知的にとりはらえない」ともってまわったいい方をしているのである。
それでは「みえるがままの事実」がわれわれの思考の対象であった場合、それは、いかなる事態を生ぜしめるのであろうか。それは実在の事実ではなく、現象の事実が正しいという価値観をうみだしている。そして、われわれが現象するものが何であるかを知的にとりあつかって失敗したとしても、現象するものの存在価値は決して下落するものではない、と考えられてくる。現象するものとはわれわれの前にあるすべてであり、そして総体としてとらえられてみた場合、自然である。それ故に事実の知的追求の破綻がそのまま放置されていても、自然は決してわれわれを裏切らないのである。
この考えは「みえるがままの事実」への忠誠を誓う知覚の哲学にとって共通であり、その哲学が主知主義的であるか否かは問題ではない。問題とするならば、むしろ事実を主知主義的にとらえない場合の方が、自然に安住の場をよりみつける傾向にあるといえるだろう。なぜならば、それにとって自然とは都合よく機能してくれるだろうと信じられた上で現象しているからである。そこに「みえるがままの事実」にまかせる人間の主観性が介入している根拠があるのである、
ところで、この「みえるがままの事実」はわれわれの感覚器官を通して存在しているのは、いわれるまでもないであろう。してみるとわれわれは知覚の哲学における主知主義の強調の実質が実は感覚器官の選択機能の働きの重視である点にきづかねばならないだろう。ジェイムズ自身そのことについては、むしろ知りすぎるくらいに知っていた。ジェイムズの誤りはその感覚器官の選択機能が人間の無限の可能性を保証していると考えたところにあった。それ自体は必然的に人間の存在をある限られた様態をもつものとしてせばめている。即ちジェイムズにとっては生物学的人間ないしは心理学的人間における無限の可能性が賛美されているにすぎないのである。生物学的人間にとっては自然現象が、心理学的人間にとっては精神現象が個々の対象とされる。しかし、それらは観点が異なるだけで同じことをいっているのであり、そこでは等しくわれわれの感覚が中心的役割をはたしているとされている。
ジェイムズにとっては、それらの現象が「あるがままの事実」として定義されているにすぎなかったのである。そこでは主観的なものがなんの根拠もなく客観的なものに転化している。ここに一つの飛躍が、合理主義者からいわせれば、非合理的側面があらわれている。「みえるがままの事実」とはまさに感覚器官の所産にすぎないにもかかわらず、それは現実的には「そこに現存しているもの」になっているということである。そしてそれがいつのまにか「あるがままの事実」としてみなされ、そのために感覚が単なる伝達の機能を果たしているにすぎないものとしてみなされてくるようになるのである。
このことは実は、われわれが「そこに現存しているもの」に対する忠誠心を約束していることに他ならない。いいかえれば、「そこに現存するもの」はわれわれに対して否定することのできない「あるがままの事実」として存在の権利を不当に主張してくる。そこにおいては、「そこに現存するもの」はその根拠ないしは生成の本質があきらかにされているかどうか、あるいは人間存在にとって不当かどうかが吟味されているかどうかは問われていない。それはその現象する瞬間において、その現象の絶対性の名において、われわれが絶対的に認めなければならないように、存在の価値をもっているのである。従って、「みえるがままの事実」とは、「そこに現存するもの」であり、その存在形態は精神現象であれ自然現象であれ、その本質が不問にされたままになっている。
そして、それはジェイムズにとっては現実に社会に轟いている諸現象、即ち彼の住む現実世界において勢力的、支配的に存在する思考の、あるいは組織の、あるいは社会の、諸現象以外のなにものでもないのである。一般的に知覚の哲学に固執する人間にとって、彼が、「あるがままの事実」即ち「みえるがままの事実」に忠実であろうとする場合には、そこに現象として現存するもの以外に遭遇するなにものもみあたらない。いいかえればそれを肯定的にとりあつかわねば彼はほとんど何もできないのである。この傾向は人間を単に自然界に存在する人間としてきわめて低い次元においてとらえようとすればするほど強くなる。
この際、低い次元とは具体的に何を意味しているか。それは人間における倫理的性格の軽視、マルクスの言葉を使えば類的存在としての人間存在の無視、そして社会的人間としての自覚と投企と創造性への無関心等々であり、一言でいえば、生物としての個人的人間を強調する態度である。かかる人間においては彼の行動が外界の刺激に対する感覚器官の反応という形で定式化されている。この考え方が必然的にエゴイスティックな人間の強調につながっているのはいわれるまでもないであろう。
知覚の哲学にはそういった危険性を容認する可能性が多分に存在しているのである。なぜにそういわれるのであろうか。その一つは「みえるがままの事実」はまさに、「あるがままの事実」としての客観性をもっているとする独断的判断からくる心のやすらぎ及び「みえるがままの事実」はその事実に遭遇する我の存在なくしては認められないということ、逆にいえば我の存在が「みえるがままの事実」をつくっているということ、からくる主体的自己の機能の発露を感じとるという不遜さに起因している。もう一つは知覚の哲学は自然を自らの守護神としている点にある。この自然は実は自らの都合のよいように考えだされた概念にすぎない。即ち、自然は秩序がとれていて、われわれの理知の破綻をオブラートでつつんでくれるあたたかさをもっている、と考えられている。知覚の哲学においては自然は、そのようにみえる事実にすぎないのであるが、いつのまにか、自然がそのようなものとしてあるという風に考えだされる。
それはわれわれに次の様な錯覚をもたらすのである。つまり、自然はもともと秩序がとれており、われわれの守護神なのであるから、われわれの行動はそれが勝手なものであり、又、他者との葛藤の状態にあったとしても、自然の秩序の前では調和的なものとして位置づけられるにちがいない、と。それ故、たとえわれわれが勝手な行動をしたとしても自然がわれわれの頭をたたきわれわれに反省を求めさせるようにしてくれるだろうし、又、われわれが行きづまってしまった場合には、これ又、自然がよく導いてくれるだろう、という考えがわれわれの心をしめる。
この考えはわれわれの心には疎遠でない。なぜならば、われわれの本性と自然の現象性とは同じだからであり、いわばわれわれは知覚(それが静的なものと考えられる場合には観念)に上手に身をまかせることによって、自分のつくった自然に自分の行動の責任を負わせているからである。
とはいえ、これまでの知覚の哲学はかかる主張をあからさまにしてきていなかった。知覚の哲学は他の哲学(たとえば先験的な哲学)から矛盾をつきつけられ、ひらきなおった場合にかかる主張をするだけであり、普段は自然に迷惑をかけまいとする狡猾な配慮を行っている。即ち、自分の行動がゆきすぎないように自戒し、ゆきづまらないように意志を鼓舞する。それが自然及び自己の本性に報いる哲学的態度であるとされていたのである。ここにわれわれは前述にあったロック、バークレー、ヒューム以後の知覚の哲学者の一般的態度の根拠をみるのである。彼らが認識論の問題点について、それ以上の追求をしなかったのは、諸現象の本質をさぐる必要がなかったからであり、又そうしないでも、自らにとって都合のよい自然がその必要性を感じさせぬ効果を与えてくれるからである。
ジェイムズはその意味では知覚の哲学のチャンピオンである。彼の涙ぐましいまでの意志と努力の意義の賞賛は彼にとって「みえるがままの事実」を思考の上において完全な形にして神殿にそなえようとするためになされている。それは現実に対しては現存しているものをより完全なものにする保守的役割をはたしているにすぎない。なぜならば、「みえるがままの事実」とは存在の本質でもなければ、又現存するものを否定する機能をはたしているのでもなく、まさに現象として現存しているものにすぎないからである。
なるほどジェイムズは事物における可変性、ないしは生成中の事物を積極的に主張しはする。しかし、ジェイムズのそれは例の観念と密接に関係があるところの真理の可変性を意味し、あるいは思考の上での可変性を意味しているのではないかと考えられる点が多分にあり、ベルグソンがいうように、実在そのものが変わりやすいという具合にはいえないのではあるまいか。ここにも知覚をそれの本質においてとらえず、そこに知覚されているものから出発しようとする知覚の哲学の限界があるといわれうるだろう。それ故に知覚の哲学は現存するものに対しては全く無力であり、現存するものの秩序と寛容さを期待して、それにわが身をあずけることに自らの主体的意義を認める以外になにもできなくなるのである。
勿論われわれは経験論をただちに知覚の哲学とする考えをすなおに認めるわけにはいかないかもしれない。しかし、知覚の哲学を経験論における唯心論的見解の代表とすることによって、経験論のもつ批判的部分をうきぼりにする手ずるがえられることは確かであろう。とはいえ、本節が意図している経験論批判の中味は新奇なものではない。われわれはすでに、最近の思想界において現象学や弁証法的唯物論が頭をもたげている事実を知っている。この点を重視すれば本節はそれに追随している立場であるかもしれない。なぜならば、本節の文脈は一貫して、知覚の哲学、あるいはジェイムズ経験論が実在を客観的に把握していない点及び現象よりも存在の本質が把握されるよう示唆している点にあるからである。
それは皮肉にもジェイムズに対しては、彼自身がいうところの知的にとらえられない実在を再びうきぼりにしようとしている立場にある。だがここでは現象学や弁証法的唯物論の考察は省略されなければならない。それは少なくとも今迄の論述だけですでにジェイムズ経験論の一つの客観的な位置があきらかにされているからである。
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